不登校していた時の読書が、その後の自分を支えてくれた

ひきこもりをしている人の時間はゆっくりと流れている。

周りから取り残されるような不安も、私の場合そんなに感じていなかった。

何しろ比較する「周り」がいなかったもので。

 

途方もなく長い時間に、私は、絵を描いたり、テレビをみたり、読書をしたり、家族と話したり、飼っている鳥と遊んで過ごした。ゲームをすることもあった。

 

無為な時間や、ただただ苦しく実りのない時間、負のスパイラルから抜け出せなくて起きては喧嘩、寝ては悪夢にうなされるのを繰り返し、ただ家に居るだけなのに片時も休まらない、なんてザラだったが、時間がたっぷりとあることが幸いして、本来なら読破できなかっただろう難しい本を読破した経験もある。

 

ある時、私はアインシュタインの名言集を読んだ。

 

ちゅらさん(朝ドラ)を観て好きになった女優の菅野美穂が、勧めている本だからという単純な理由だった。

 

その本の中で、アインシュタインは「相対性理論」を考え出した人だと知った。母に相対性理論とは何か質問すると、こんな本を見つけてくれた。

 

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とてもカジュアルな文章で、図や数式を読み飛ばしてもとりあえず意味が通じるように書いてあったので、苦労しながらも読み終えることが出来た。

相対性理論について、母に説明してあげると、母はすごく喜んでくれた。

「普段勉強していないのに相対性理論がわかるなら元気になったらきっとなんでもわかるようになるから、今どんなに勉強できなくてもきっと大丈夫!」

とかなんとか言っていた。

からしたら私が勉強していないことがとても心配だったんだろう。

 

今振り返ると、正直言ってこの経験は、私が義務教育(基礎)と向かい合うことから長い間逃げられてしまった一因にもなっている。だから今、こうして義務教育をやり直しているので迷惑な要素もあった。

 

しかし、学校へ通い始めてから学校や勉強に慣れるまでの苦しかった時間、潰れずに耐えられたのは「相対性理論だってわかったんだから、きっと大丈夫!」「私はクラスで最下位の成績だけど、クラスメイトの知らない難しいことを知っている」「難しい本を読破した経験がある!」といった想いが、自信やプライドにつながり、自分を前向きにしてくれたからだと思う。アインシュタインとか相対性理論という「すごい感」のあるものなのに、実際には読みきれるレベルのものだったのが良かった。

 

ただでさえ学校へ行っていない子供が、時折みせる妙な学習意欲を、出来れば学校の勉強に当てて欲しいと思う親御さんも多いと思う。だけど、子供に自己肯定感を持たせてあげたい時には「学校のみんなが知らないこと」の方が都合がいい。ベールが剥がれづらいので、魔法が長く効く。