学校や勉強を嫌いにならずに続けてこれたわけ【最初の授業】

私は、小学校4年生の途中から中学3年生の途中までまったく学校へ行きませんでした。勉強もしていませんでした。

 

そして、中学3年生の夏休み明けから転校もして学校に通いはじめました。

小学四年生の学力で、高校受験真っ盛りのクラスに放り込まれたということです。

 

だけど、そんなことを全く自覚していなかった私は、集団生活や人間関係に対する不安で精一杯で、勉強に関しては小学4年生の時、まあまあ頭がよかったから、きっと今も頭がいいだろう、くらいにしか考えていませんでした。

 

そんな私に親や祖父母は「知らないことを知らないのは当たり前だから、もしわからなくても頭のせいじゃない。だから落ち込むな」「問題文に知らない言葉が沢山ある問題は解けないと思っていい」としきりに言っていました。

 

それでも私は、良い点とってびっくりさせて、褒めてもらおうと考えていました。

 

しかし、転校初日、いきなりの実力テストによって、私は自分の学力を思い知らされることになります。

 

まず、とにかく問題文が読めません。

英語なんて、アルファベットの小文字を見たことがなかったので、知らない文字で埋め尽くされていましたし、数学も数字と記号5つ(+、−、×、÷、=)以外すべて読めませんでした。社会や理科に関しても漢字からして読めませんでしたし、国語は古文漢文というものがある、ということも知らなかったので、国語なのに日本語じゃない問題が出てきたと思ってムッとしたほどです。

 

その時のテストの点数は

数学2点、国語40点、美術95点、あとの教科は全て0点でした。

 

美術と読書が好きだったので、美術の知識と現代文の問題はなんとか解けたんです。

 

数学の2点は、確率の問題です。

数学のテストの時間、問題を読むことすら出来ず、開始1分でやることがなくなってしまったのですが、よくみると最後に文章問題がありました。その問題文には数学的な用語がなかったので、問題文が読めたのです!それに1時間も何も出来ずに座っているだけなのが苦痛だったので、全部のパターンを書き出して、数えて答えを出してみたんです。すると、テストが返却された日、×で埋め尽くされたテスト用紙の最後に、たったひとつのハナマルと、すごい!頑張ったね!というメッセージがありました。

とても嬉しかったです。点が取れなくて落ち込むというのは逆にありませんでした。テストを受けた時点で分かりきっていたからですね。

親たちが答案を受け取る前に「一点でも取れたらすごいよ!」「投げ出さずに最後まで受けたところがすごい!よく頑張った」と言ってくれたのもショックが小さくすんだ大きな理由だと思います。

 

このような経緯があって、本当は大失敗のはずのテストが、私にとっては大成功のテストとして今でも記憶に残っています。

 

 

テストの問題を解けないのは、勉強をしてこなかったからで、頭が悪いからではないと状況を理解することで(認知)結果が悪いのは自分のせいじゃない&自分は勉強することで今の状況を乗り越えることが出来る、と考えられた(感情)

 

不利な状況を最後まで諦めずに乗り切ることができたと周りの大人から認めてもらえたことで(認知)自分でも自分を認めてあげることが出来た&次からも自分なら試練を乗り越えることが出来ると感じることだ出来た(感情)

 

この認知と感情が、苦しい状況の中でも

勉強を続ける(行動)を支えてくれています。

 

ちなみにハナマルをつけてくれた先生には、私が5年間学校に行っていなかったことを転校の手続きをする時点で伝えてありました。こういうことを先生に伝えるかどうか、家族で悩みましたが、5年間のブランクは隠しきれないと判断して、どうせなら出来るだけ正確に把握してもらったほうが、トラブルが少ないだろうと判断しました。