学校へ行っていなかった子にとって「宿題」が「勉強や登校」の邪魔になることもある

5年ぶりに学校へ行き始めた私が、はじめのうち、とても苦労したことの一つに「宿題」があります。

 

 

 

勉強していなかったのでプリントの穴埋め問題が出来ない、といった苦労はちょっと想像すれば分かるかもしれませんが、私の場合は書き取り問題を消化することすらままなりませんでした。

 

私は、学校に通い始めたばかりの頃、英語の書き取りの宿題を、1ページ終えるのに、1時間かかっていたのです。

なぜなら、アルファベットの小文字が分からないからです。

例えば「hとnとr」「aとe」 「bとd」「fとt」などの区別がついていませんでした。

なので、一文字一文字「この線は付き出るんだっけ?」「この線はどこまで伸びるんだろう?」と考えながら、お手本とにらめっこして書いていました。単語の書き取りというより、むしろ文様を模写しているような感覚でした。

 

ただでさえ5年ぶりの集団生活です。初めての地域で知らない人に囲まれ、よく分からない方言で話しかけられ、分からないことばかりの授業をクラスメイトの好奇な視線に耐えながら恥を忍んで受けて、帰宅した時にはヘトヘトでした。

 

そんな中で、よく分からない外国の文字をひたすら書き写す作業。全ての教科で同じような状況に陥るため、夕方から始めた宿題は深夜になっても終わりません。

 

それでも最初のうちは前向きに取り組んでいました。

勉強をしてこなかった分、取り戻すためには相応の努力が必要なのは当然ですし、これを乗り越えれば英語がわかるようになると思ったからです。

 

しかし、書き写すのが精一杯で、なんの文字を書いているのかすら分からずに書き取りをしても、身になるはずがありません。

 

だんだんと私の中で宿題をやる前に、アルファベットを覚えたい、基礎をやりたいという気持ちが高まってきました。

 

事情を先生に相談し、宿題を免除するか、中学1年生レベルの宿題を出してもらえないか掛け合ってみましたが、答えは「NO」でした。

「状況は理解出来るが、特別扱いをすると他の生徒から苦情がでる。家族でうまくやってくれ(家族に宿題を解いてもらったとしても気づかないよということです)」と言ったことをモゴモゴと言われたわけです。

 

すると、今度は母親が「思春期の子供に、嘘やズルを教えるのは良くない」と言い始めました。言っていることは正しいですが、私としては困りました。家族の協力なしには、私に必要な勉強が出来ない状況なので、こちらも必死です。

 

最終的に家族の中で「学校の宿題」と「本当の宿題」といった2つの宿題の定義が生まれ、学校の宿題は親がやってもいいと先生が認めてくれたので「嘘」ではない。本当の宿題は自分が本当に必要としている勉強をやることで、本当の宿題をやっていれば「ズル」ではない。ということに落ち着いて、親が宿題をやってくれるようになりました。

 

そして、私は大好きなおばあちゃんからアルファベットを教わり、無事にアルファベットを読み書き出来るようになりました。

 

アルファベットが分かるようになると、英語の教科書が「模様」から「文字」に見えるようになりました。まだ意味を持った「文章」に見えるようになるのは先の話ですが、大きな第一歩でした。